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2009年04月 アーカイブ

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抽象表現主義とは

抽象表現主義とは、1940年代後半~1950年代のアメリカ合衆国で全盛を迎えた絵画運動。
抽象絵画の一種で、主な特徴は、非常に巨大なキャンバスを使い、観る者を圧倒する。

画面に焦点となる点がなく、地も柄もなく、どこまでも均質な色や線の広がりが描かれている、「オールオーバー」(全体を一面に覆っている)な絵画である。

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絵画のキャンバスは現実の風景や姿形等を再現する場所ではなく、作家の描画行為の場(フィールド)であると考える点である。

代表的な作家は、ジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマン、マーク・ロスコら。

はじめてアメリカ発で世界に影響を及ぼした美術運動で、ニューヨークをパリに代わる世界の芸術の中心地とするきっかけになったため、別名「ニューヨーク・スクール」(ニューヨーク派)ともいう。

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美術の中心

1930年代のニューヨークは、ベン・シャーンら、労働者の貧しい現実や社会問題を描く具象絵画やアメリカ地方主義絵画が全盛で、モダニズムはヨーロッパにおける以上に違い肩身の狭い存在だった。

そのころハンス・ホフマンとジェゼフ・アルバースというドイツ人画家がグリニッジ・ヴィレッジで私塾を開き熱心に抽象絵画を教えていたほか、彫刻家イブラム・ラッソーのスタジオにもアド・ラインハートやジョゼフ・アルバースらが集って後に「アメリカン・アブストラクト・アーティスツ」という組織に発展した。

またロスコやポロックなど後の抽象表現主義のスターとなる作家たちが先輩作家らとおのおのグループを組んで小規模に活動していた。

1940年代前半、第二次世界大戦の戦火を避けて、ヨーロッパからシュルレアリスム、抽象絵画、バウハウス関係者など、美術家、音楽家、建築家、デザイナーらあらゆる種類の前衛芸術家がニューヨークに亡命して来た。

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ニューヨークの美術の潮流

第二次世界大戦前までは、アメリカ人の若い画家や彫刻家が芸術の本場ヨーロッパに移り、パリなどで時代の前衛に触れる事が一般的だった。

アメリカはヨーロッパの伝統や流行を一方的に受け取る側で、アメリカ人の富豪やニューヨーク近代美術館なども自国の若い美術作家よりはヨーロッパの流行作家の作品を買い集め、個々のアメリカ人画家や彫刻家がヨーロッパで評判になることはあってもアメリカの美術潮流がヨーロッパ芸術に影響を与えるようなことはまずありえなかった。

そのヨーロッパの前衛を担う人々がアメリカに移ってきたことがアメリカの若い画家たちや既存の画壇に与えた影響は大きなものだった。

以後アメリカでは、いまいち伸び悩んでいたモダニズムが全面的に開花し、ニューヨークの美術の潮流は先鋭的なものへと変わった。

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シュルレアリスムの影響

若い美術家たちにもっとも大きな影響を与えたのは、シュルレアリスムである。

作為や人為を排して自然にでてくるままにまかせる作品制作方法、たとえばオートマティスムなど、作家の意識よりその無意識や意識下を表現するための制作の方法論は、当初多くのシュルレアリスム風絵画を生み出した。

ジャクソン・ポロックがキャンバスをイーゼルでなく床に置いて描くようになったのも、後述するインディアンの砂絵のほかに、シュルレアリストのマックス・エルンストの影響が強い。

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表現主義と抽象絵画の影響

「抽象表現主義」はヨーロッパでも第1次世界大戦後使われていた言葉であったが、アメリカの美術運動にこの語が当てはめられたのは1946年、評論家のロバート・コーツによる。

「抽象」という言葉はバウハウス、未来派、キュビズム、その他1930年代の抽象絵画などの非具象の美学を引き継いだことをあらわし、「表現主義」という言葉はドイツ表現主義などの自己表現、激しい感情の表現を引き継いだことをあらわしている。

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表現方法

激しい感情を、キャンバスに具象的でない方法で叩きつけるように表現するというところだが、抽象表現主義といわれた美術家たちの中には、単に抽象であって感情表現をあらわにしなかったり重視しなかったりする者も含まれてしまっている。

たとえば暴力的でグロテスクな筆致で女性たちを描いたウィレム・デ・クーニング、いっぽう表現主義的にはみえないマーク・ロスコの色の積み重ねや、キャンバスと格闘するように垂らすペンキの動きや量を、実は緻密にコントロールしていたジャクソン・ポロックなど、多様な美術家が抽象表現主義のカテゴリーで一くくりにされている。